タラント

その人の足の下では、床は重さを支えるものでなく、ただ美しい姿勢を作るのを助け、リズムを刻むだけのもの。
もし突然床が取り去られても、彼はわずかに肩をすくめるだけで、微動だにせず踊り続けるだろう。

THIS IS IT」を観てきました。

ぶっちゃけた話、私はマイケルジャクソンという人を知らない。
天才的なダンサー、歌手、音楽家、整形、借金、児童虐待の疑いの裁判。そんなところだ。

映画冒頭、世界各国からオーディションに駆けつけたダンサー達が目を輝かせて語る。
「その人と踊るためなら何でもする」と。
技術と容姿と、さらに華があるか否かでまで選び抜かれた踊り手たち。私にすら、ダンスとは己の肉体を極限に使う芸術なのだとわかる。
そしてその彼らの中にあってさえ、すでに若くもないはずの「彼」が、特別であることが。
同じ動きをしていても、シルエットだけでも、彼は明らかに他のダンサーとは別格だ。

映画の中で一度、彼は両手を打ち合わせた。
なぜかそれがひどく印象に残る。
彼がそんな、「あたりまえ」の動きをすることに、ひどく違和感があった。


いわゆる「タレント」の語源は聖書にある。
たとえ話にいわく、ある家の主人が旅に出るとき、従僕たちにそれぞれ才覚に応じて金を預ける。主人の留守に、その金(通貨単位はタラント)を賢く運用した者はより多くを与えられ、死蔵した者は罰せられる。
タラント転じてタレントは、かくして「才能」を意味する言葉となったわけだが、なるほど、これほど多くのタラントを与えられ、これほどに運用した者は確かに稀に違いない。

多分私に、マイケルへの愛や知識がもっとあれば、大きく感動できたと思う。
少しばかり残念だ。