黄金獅子の花嫁 (タイバニ・ライジング感想小ネタかきかけ)

ガタゴトと揺れていた馬車の動きが不意になめらかになったことに気づいて、ライアン・ゴールドスミスはそっと窓の紗を押し上げ、外の様子を伺った。
空を目指して競うような摩天楼。見慣れないメガロポリス
今日からこの街が、自分の街になる。
……異国の王都、シュテルンビルト。
ライアンは、この街の王子の妃となるために、母国コンチネンタルからはるばる嫁いできたのだ。


別に、結婚に夢など見ていない。
王女として生まれた以上、いずれは他国に嫁すことは覚悟していた。
……できればバーナビー王子が、尊敬しあい、助け合うことのできる相手であればいい。
そのためには、……ライアンの方も、もちろん努力せねばならないだろうが。

ライアンはそっと、ため息をつく。
輝く黄金の髪、若葉の色の瞳。由緒あるコンチネンタルの王女は、猛獣のように美しい。
だが実のところ、ライアンには王女として生きていくにはあまりにも繊細な心の持ち主であった。
人見知りで人付き合いが苦手、というのは、そこらの村娘なら可愛らしいですむけれども、王女としては欠点に近い。
とはいえ、ライアンのそのような一面を知るのは、ほんの限られた人間だけだ。親族や間近に仕える者たち、……そしてこれからは、きっと、夫となる人物が。
幼い頃から施された王女としての教育は、その欠点を覆い隠す立ち居振舞いをライアンに与えた。「わたくしの靴にキスをしてくださらない?(大意)」などと言えるようになったのも、ひとえに空気を読まず振る舞う訓練の成果だ。――おどおどした王女よりは、驕慢な王女である方が、宮廷では生きていきやすい。
だがこの先、夫相手にそうはいかないだろう。互いの距離を測り、足並みを揃え、ときには夫を立てたり従ったりも必要となる。
人付き合いが苦手で、緊張するとつい五割増しで尊大な態度をとる癖のある王女としては、不安しかない。

せめて。
せめて、嫁ぐその方が、よい方でありますように。
……祈りは唇に乗ることなく、地に落ちた。



ようこそ、歓迎の式典を用意しているよ。王子とはそこで引き合わせよう、と、シュナイダー王は微笑んだ。
王とはいえ、ライアンの婚約者バーナビーの父ではないときく。前王が諸々の事情で王位を追われたとか、その前王もバーナビーではないとかなんとか。
一通り頭に入れてきたシュテルンビルトの基礎知識を頭のなかでめくりながら、ライアンは身支度をととのえる。
翼のように仕立てられた最高の晴れ着は、故郷から持ってきたものだ。

――そう、言っておくことがあってね。知る必要はないと思うけれど、どこから耳に入るかわからないし。
――バーナビーには、実は君の前にね。

別に。
愛があって嫁ぐわけじゃない。
王族同士の婚姻は、契約であり象徴であり、人間としての愛情やら恋情とは関係ないものだ。
もちろん、形式上とはいえ愛を誓うのだから、そのような関係を築ければ理想的ではあるけれども。

――……詳しい話?じゃああとは秘書に聞いてくれるかい?ヴィルギル!
――はい。……元妃殿下はそもそも、王子殿下より年長であられて……
――やっぱり、嫁は若いにこしたことはないよね。……アライグマみたいなんだよな……


前の妃、か。
どんな人だろう。
王子とその人は、どんな関係を築いていたのだろう。
……ライアンは、その人の代わり、なのだろうか。
それは正直、気分がよくない。

待機場所の外から、嵐のような歓声が聞こえる。どうやら、バーナビー王子が宴に現れたようだ。
胸が高なる。いよいよ、時が来た。
「――紹介します!」
唐突に目隠しの幕が取り去られ、スポットライトがライアンの姿を照らし出す。
一瞬、目が眩みそうになるが、すぐに慣れた。
視界に映るのは、満座の紳士淑女、新たな王子妃を歓迎に集まったはずの人々。

――彼らの目は、一人残らず。
驚愕と、不審と、排斥の色を浮かべていた。


「僕を騙したんですね!」
シュナイダー王に噛みつく勢いで抗議している、美しい青年。どうやら彼がバーナビー王子であるらしい、と、ようやくライアンは認識した。
宴でどう振る舞ったかは正直あまり覚えていない。自分が歓迎されていないことをぴりりと肌で感じた瞬間から、ライアンは完全に「対外モード」に切り換えた。
空気など読んでいては、やっていられない。むしろ、自分を守るためにも、空気を破壊することが必要だった。
たぶん宴でも数言ぐらいは交わしたはずだが、バーナビーをきちんと見たのはこれが初めてだ。
金の巻き毛、翡翠の瞳、眼鏡が似合う理知的で端整な顔立ち。絵本に出てくる「王子さま」を現代につれてきたら、きっとこうなるだろうと思わせる容姿。……だがこの王子さまは、ただおとなしくハッピーエンドを運んでくるだけではないらしい。
「僕は離婚なんて承諾してません!ましてや新しい妻なんて」
「サインはしたはずだよ?」
「僕がサインしたのは新しい役職に就くというだけの!」
「付帯条件にちゃんと書いてあったはずだけど?」
「……失礼ですけど、我儘が過ぎるのでは?結婚など、ただの契約ではありませんの(大意)」
バーナビー王子のあまりの食い下がりように、ついライアンは口を挟む。
……まさか、ことここに及んで、婚約者からこうまで拒絶されるとは思わなかった。これでははるばる嫁いできたライアンの立場がないではないか。
だがその抗議に、王子は凍りつくような一瞥を投げ、「あなたは黙っていてください」と冷たく切り捨てた。
ライアンが言葉を返すより前に、静かな声が辺りを払う。
「その辺にしとけ、バニー」


黒い髪、浅黒い肌、琥珀色の瞳。
顔を半ば覆うマスクは、まるで、そう。
……アライグマのような。


その人を見た瞬間、バーナビーの空気が変わるのがわかった。
明らかに近しい、心許した相手に対する態度。
「……虎徹さん!」
「スポットライトをあびたお前、やっぱりかっこよかったぞ」

なんだろう、この空気。
廊下の向こうからは数人の青年や少女が、こちらを伺っている。……明らかに、高位の貴族たちだ。
あるいはむっつりと唇を引き結び、あるいはあからさまに憤懣の表情を浮かべた彼ら彼女らは、どう見てもこの夫婦の――「元」夫婦の処遇に不満があるらしい。
長い髪の少女にキッと強い目を向けられたが、こちらにそんな感情を向けられても困る。これではまるでライアンが、バーナビーを無理矢理略奪したかのようではないか。
たしかにバーナビーとはよい夫婦になりたいと願ってはいたが、そもそもの話、会ったことさえ今日が初めてなのだ。気の合う妻と望まずして引き裂かれたらしいのは気の毒だが、本来王族の婚姻はそういうものだ。世界の情勢が変われば、よりふさわしいパートナーを求めるのは当然のこと。
……ライアンは虎徹の代わりではない。虎徹を押し退ける存在ではない。ライアンが来たのは、まったく新しい関係を築くためだ。
バーナビーと虎徹が作り上げた図形が円だとすれば、バーナビーとライアンは四角か、三角か、あるいは星形を作ることになる。
それはきっと、誰の目にも、すぐにわかるだろう。
もちろん、バーナビー自身にも。


かくして始まったバーナビーとライアンの結婚生活は、表向きは非常に平穏だった。
最初の公務であるアメジストタワーでの舞踏会では、二人の息の合ったダンスが人々の称賛を浴び、シュナイダー王をしばらく上機嫌にさせた。
ライアンは夫を「ジュニア」と呼んだ。虎徹と似た呼び方は、王子自身のためにも好ましくはあるまい。
しばらく一緒にいれば、バーナビーの性格も見えてくる。見た目より真面目で、優しくて、情熱的で、不器用。人とは必ず距離をとる。どうでもいい相手や支援者に向ける外ヅラは完璧。
……まあある意味、扱いやすい相手とも言える。

ちなみに夫婦が夫婦たる所以の、夜の件に関しては、予想はしていたが一切なかった。いわゆる「白い結婚」というやつだが、これも王族にはよくあることと、ライアンは気にはしていない。睡眠をしっかりとれるのはよいことだ。

だが、周辺の環境は正直、ライアンに居心地がよいとはいえなかった。
お披露目で出会った貴族たち――シーモア火炎公、グッドマン天翔侯、ライル蒼華伯ら、宮廷の花とうたわれる社交界の中心人物たちは、初対面以降は特に文句を言うわけでもなく、普通にライアンを歓迎し、仲間と認めてはくれた。しかし彼らの礼儀正しい振る舞いの中に、よそよそしさがあるのははっきりわかる。それは単なる異国人への疎外ではない。

たとえば。
バーナビーと共に、ドレスメーカーを訪れたことがあった。
天才と名高い、囁き声の仕立て職人は、ライアンの今までの礼服を罵倒し、よりみごとな作品を仕上げてくれた。着るものにさほど興味のないライアンとしては、単純に喜ばしいだけのことだ。
そんなライアンの対応に、職人は眉をひそめていた。
相変わらず声はほとんど聞こえなかったが、その口の形が紡いだ名は、ライアンにも覚えのあるものだった。