物語の価値(やや毒舌かも)
近所の本屋で、某Tガシ先生の「レベルE」が平積みにされているのを見た。
へえ今頃?とよくよく見ると、POPに「完結してます」と書いてあった。
思わず吹いた。
まあ確かに今のTガシ先生のことを思えば、それは重要な情報かもしれない。
しかし、ちょっと引っかかるものがあるのも確かだ。
私の趣味の一つはジャンプの感想読み歩きである。当然、なかにはワンピに批判的な物もあるが、それはそれで参考になるのでたいてい目を通す。
多く目に付くのは、とにかくワンピが「長い」ということに対する批判だ。
「飽きた」「早く魚人島へ行け」。
こういう意見を見る度思う。
なぜ彼らは、「早くラフテルへ行け」と言わないのだろう。
このままではいざ魚人島へ行ったときには、待ち焦がれたはずのその冒険を楽しみもせず、「早く次の○○へ行け」と言うだけなのは火を見るより明らかではないか。
ならいっそ完結したときに最終巻を読み、すべての謎を一気に知って、「なんだこれだけのことに○○巻もかけたのかよくっだらねえ」と言って、最終巻を放り出せばいいだけだ。
それはそれでひとつの楽しみ方には間違いない。
私にはまったく羨む気にはなれないけれど。
毎週毎週の緊張、新しい情報を得る興奮、正鵠を射ることはまずないと知りつつ先を予想し、細かい表現に酔い、次週を一日千秋の思いで待つ。
なんという贅沢な幸福。
「で、結論は?」だけでは決して味わえない愉しみ。
それで終わらせるなら、たとえば日本の古典「源氏物語」は「あるプレイボーイの一生」、「平家物語」は「戦争の話」で終わりではないか。
過程を楽しまなきゃ、ワンピ読みやる甲斐はないぜ!
※珍しく平日映画「トランスポーター3」。感想は避難所。
(メモ)
拍手ありがとうございました。