ベルンハルト

ヒトラーの贋札」を観てきました。

第二次世界大戦末期、追いつめられたナチスドイツは、敵国英米の経済を混乱させて弱体化を図ることを目的に、ひとつの作戦を立案した。
責任者の名を取って、「ベルンハルト作戦」と呼ばれるその作戦に従事したのは、強制収容所ユダヤ人たちだった。

収容所の中で画才を頼りに生き残ってきた元世界的贋札造り・サリーをはじめ、印刷工、美術学生などの専門家が集められる。彼らに望まれたのは、偽造。
壁一枚向こうで殺される同胞たちの悲鳴を聞きながら、別の収容所にいる妻の身を案じながら、彼らは柔らかいベッドと温かい食事を与えられ、偽造証明書や偽造ポンド札の制作にあけくれる。届けられる偽作用の資料の中に、自分の子供たちのパスポートを発見して狂乱に陥る者もいた。
この作戦が成功すれば、ナチスに力を与え、同胞たちをますます追いつめる。だが、手を抜いたりサボタージュしたりすれば、自分たちが即座に殺される。……どのみち、この作戦が終了すれば、自分たちもまたガス室への道を辿るのだと知りながら、ただひたすらに贋札造りの研究に邁進するしかない。
しかしナチスは、作戦の進行速度が遅いとなじり、期限までに贋ドル札を仕上げねば、作戦チームの中の5人を処刑すると通達してきた……。


正直、こちらの体調がイマイチであったこともあるが、「ああやはりこういう映画か」という観は拭えなかった。
同胞への裏切りと自分たちの身の安全の間で、ぎりぎりまで戦う人間たちの姿。裏切り、失望、恐怖、苦悩。
アウシュヴィッツということばから、ホロコーストということばから予想される世界から踏み出した物語とは思えない。
もちろん「サラエボ」同様、人類が自らに犯した罪として、いつまでも記憶を喚起せねばならない題材であるのは間違いないが、「それ以上」を求めるのはあまりにも無責任すぎるだろうか。