夢の分類

なにもない、なにも。

身に去来するのは恐怖、

そして比較にならない歓喜

いくたび交わろうとも、かけらすら与えられなかった。

身を裂くほどに求めた。

これは、あの男の血。

これは、あの男の肉。

これは、あの男の苦鳴。

これは、あの男の錘。

これは、――あの男だ。

すべてこれから、おれのものになる。

死か、それもいい。

半身と繋がることは、甘美な苦痛と陶酔の死を伴うに決まっている。

なにもない、なにも。

ただ当たり前のことがあるだけだ。

☆☆☆

第二弾、ルゾロル。

誰かと同じ感覚を共有するというのは、たとえそれが苦痛であるにしろ、下手な交尾なんぞよりよっぽどエロいシチュエーションだと思います。

某サイト様のご意見に感心したので、自分なりにまとめ。

「サンジとゾロは共に身代わりを名乗り出たが、動機は大きく異なる。

サンジは、自己の命<他者の命という価値観を(おそらく幼少期のトラウマから)確立しており、また自己犠牲に美学を感じているふしがうかがわれる。

ゾロは、すべてに先立って『大剣豪の夢』がある。だが、彼の理想とする大剣豪への道に、『仲間を見捨てる』行為は存在しない。ルフィを見捨てて生き延びても、彼は同時に自分の夢を失う。彼は、自分の夢への道を全うすることを選んだ。たとえそのために、道が断ち切られるとしても」

以下、個人的考察。

サンジの夢には、実は彼自身が叶える必然性はない。サンジは「オールブルーの存在を立証したい」のであり、それが自分以外の誰かによって果たされたとしても、相手を憎みはしないだろう。同種の夢を持つのは、ロビンである。

彼らは、自己犠牲をためらわない。彼らが倒れてもその夢は、「誰か」が継ぐことができる。

しかし、ゾロと、そしてルフィの夢は違う。それは他者から受け継いだ部分もあるけれども、「自身」が果たさねばならない夢である。彼らの夢の椅子は一つしかなく、そこに座るのは自分自身でなければ意味がない。また、ウソップ、ナミ、チョッパー、フランキーの夢も、「自分自身」が果たさねば意味のない夢である。

故に彼らは命に執着し、誇りを重視する。自己犠牲など考えもせず、もちろん仲間を見捨てもせず、最後の最後まで共に生きる道を探してあがく。彼らが倒れれば、夢もそこで潰える。

……だからなに?て話ですが。